暗く静かな夜、連休住職美希大運と申します。今宵も怪談説法をお届けします。私の幼少期は、不可解な出来事に満ちており、その多くは科学では説明できないものでした。これまで、その中のある特定の話を皆様には伝えてこなかったのですが、今夜、その禁断の話を明かそうと思います。
私が通っていた京都の小学校は、大規模な学校で、12のクラスがありました。冬のある日、新しい転校生、影山君が私たちのクラスにやってきました。彼は他の生徒とは一線を画す静かな存在で、私は彼に興味を持ち、声をかけることにしました。
特に、私たちは泥団子作りに夢中になりました。影山君はその技術に秀でており、彼の作る泥団子は他の誰よりも完璧でした。彼は「サラナと水のバランスが鍵だ」と言って、完璧な泥団子を作り上げていました。
しかし、夏休みを前に突如、影山君は学校に姿を現さなくなりました。心配した私は彼の家を訪れると、彼の家族から信じがたい事実を告げられました。
「影山君は、実は5年前にこの地で亡くなっています。」
私はその言葉に震え上がりました。私が遊んでいた影山君は、実はこの世には存在していなかったのです。
彼の母親は、涙を流しながら、5年前の事故の詳細を語り始めました。影山君は公園で泥団子を作っていた際、突如として起きた土砂崩れに巻き込まれ、命を落としてしまったというのです。
事故後、家族はその場所を離れようとしていましたが、彼の部屋で見つかった泥団子が、彼の魂が宿っているかのように感じられ、家を出ることができなかったと言います。
私はその話を聞き、影山君との日々を思い返しました。彼と過ごした日々、彼の温かさや優しさを感じることができました。
私は彼の家を後にし、公園に向かいました。公園の遊び場には、私たちが作った泥団子がたくさん残っていました。私はその中から、影山君が最後に作ったと思われる泥団子を見つけ、手に取りました。その泥団子はまるで彼の魂が宿っているかのように、冷たく感じられました。
私はその泥団子を大切に持ち帰り、自宅の庭に埋めました。そして、毎日その場所に花を供え、影山君の魂が安らかに眠れるように祈り続けました。
時が経ち、私は大人になりましたが、影山君との思い出は今も心の中に生き続けています。彼との出会いは私にとって、かけがえのない宝物となりました。
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